犬吠崎霧笛100年記念シンポジウムに参加
今日は、黄金名が敬愛する仲田博史さんが代表を務める、犬吠崎ブラントン会主催の会があり、参加してきた。
場所は銚子市保健福祉センターすこやかなまなびの城で、およそ、200名の参加者。
なるほど、有意義なシンポジウムで、参加して良かったと黄金名は感じた。
なぜなら、この会に参加することにより、犬吠崎灯台と霧笛舎の歴史的重要性と、構造的な独自性を、学べたからである。
それでは、会議の内容を、簡単にお伝えしたい。
主催者 仲田博史 会長 挨拶
本年3月末から、日本の全ての霧笛が廃止された。霧笛が機能を停止しているから、霧笛舎も廃止になってもおかしくない中で、「登録有形文化財建造物」の登録の答申があった。この貴重な建物を、生かすか、廃止するかは私達しだい。今日は、霧笛舎の運命について考える機会としたい。
来賓 野平匡邦 市長 挨拶
犬吠崎灯台とそれにかんする施設は、銚子市の観光政策のためにも、絶対必要。
市民が、この施設を残してもらいたいという声が高まれば、私はそれに応じたお金を用意するだけの話。ぜひ、市民の高まりを望みたい。
つづいて3名の講師の方々
東京工業大学大学院教授 藤岡 洋保 先生、
千葉工業大学准教授 山崎 鯛介 先生
東京工業大学大学院教授 竹内 徹 先生
が、それぞれの専門を生かした講義を展開された。
しかし、門外漢の黄金名には、それぞれを正確に表現する自信がないので、一括したものとして、内容をお伝えしたい。
犬吠崎の灯台は日本独自の2重構造をとっている。
しかし、それが、地震対策のためかどうかは、はっきりとはしていない。
まず、犬吠崎の霧笛舎であるが、構造は船のそれに酷似しているそうだ。それは、外壁と構造材が全て鉄でできているため。
この鉄は国産であり、八幡製鉄所のもの。同製鉄所の創業は1901年、霧笛舎は1910年なので、日本の製鉄技術の粋を集めて、建造された。
しかし、鉄には錆という弱点があり、霧笛舎が現在の姿をとどめているのは、歴代の燈台守の皆様の保守にたいする情熱のお蔭である。
この霧笛舎は日本が産業国家に成長するごく初期の技術を結集して造られている。
したがって、この保存は大変、重要なことであるが、価値とは権威ある方々から与えられるものではなく、自分たちで発見するものであることをお伝えしたい。
以上であるが、超要約であることをお断りしておきたい。
それにしても、犬吠崎に行けば、当然、そこにあるものと誰もが信じている灯台に、これだけの歴史と技術があることは、驚きだ。
銚子市に秘められている、歴史の重みと深さ、自然の豊かさなどについて、改めて考えたシンポジウムだった。
ただ、一つ、写真撮影などが禁止だったことは残念だ。
公開されている会議なので、録音はともかく、写真はなんの害があるのか、理解に苦しんだ。
ま、それはともかく、犬吠ブラントン会の皆様の努力には感謝したい。
じゃ、また明日。
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