« 「つくる会」だより2号 より | トップページ | 旭市の学校給食 »

慶応義塾大学と東京大学

黄金名は慶應義塾大学法学部政治学科に合格し、卒業している。

このことは、黄金名の人生の誇りだ。

なぜだろう?

それは、その時の友人によるな。

今でも、数人の友人とは始終メイルでやりとりがあるし、食事をしたりすることもある。

また、彼らが社会で大活躍をしていることも大きい。

その筆頭は、藤巻直哉君だ。

そう「崖のうえのポニョ」の大ヒットを飛ばし、紅白歌合戦に出場したあの藤巻君だ。

ほかにも一部上場企業の役員が二人、部長級は数え切れない。

そして、失敗経験のある黄金名を変わらぬ温かさで、付き合ってくれている。

そう、卒業生同士の仲の良さは、抜きん出いるのではないか?

それにひきかえ、東京大学の卒業生は、そういうことはないような印象がある。

なにか、冷たい感じがするのだ。

その理由を考えると、違いは両大学の生い立ちにあるのではないかと思った。

東京大学の前身は、昌平坂学問所である。それは、徳川幕府の学問所だった。

それを明治新政府が居ぬきで継承したわけだ。

徳川幕府は、武士という階級が農民、職人、商人などを支配するための学問を学ぶ学校だ。

それを、明治新政府が引き受けたわけだから、学問所としての本質は変わりがないと推察できる。

そして、その体質は、21世紀の今日でも変化がないような気がする。

慶應義塾大学は、1867年に福沢諭吉が設立した。

特に上野戦争のとき、逸る塾生を福沢先生が止めた話は、有名だ。

「戦はいずれ終わる。そして、西洋諸国と日本との本格的な交流がはじまる。その時に必要なのは、英語を話せて、西洋の学問に通じている人材だ。諸君、こらえて勉学にいそしもう」

と、演説したそうだ。

黄金名は、小学生のとき、この話にふれ、

「この慶応大学って、今もあるの?」

と母にたずね、あると知った瞬間、黄金名は慶応に入る決意を固めた。

そう、東京大学は、武士が国民を「支配」するためにつくられた昌平坂学問所がそのルーツ。

慶応は、福沢諭吉が、西洋人と対等にわたりあえる人材を養成し、気品のある国をつくるために設立したことがルーツ。

この事実は今も変わっていないこと、銚子での政治活動をつうじて実感している。

じゃ、また

|

« 「つくる会」だより2号 より | トップページ | 旭市の学校給食 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 慶応義塾大学と東京大学:

« 「つくる会」だより2号 より | トップページ | 旭市の学校給食 »