キリスト教式の葬儀
昨日、キリスト教の教会で行われた葬儀に参列させていただいた。
賛美歌をはさみながら、牧師が進行し、聖書を読み、説教をする。
最後に喪主のあいさつがあるが、心のこもった素晴らしいものだった。
終わってから、教会のホールで、参列者が集まり、サンドイッチ、クッキーとお茶、コーヒーなどをいただきながら、思い出話などを語りあった。
それに、初対面のかたも多いのだが、故人、喪主とのつながりは共通なので、容易に打ち解けることができる。
黄金名は、あるご夫妻とはなしが合い、後日の再会を約束し、そのことを喪主に話したら、喜んでくださった。
日本では、お清めまで参加すると、ある程度の気をつかうが、昨日は、ごく気軽なものだった。
ここに、日本人の欠陥があると思う。
つまり、すべて形式と金銭が重要で、人と人のまじわりが希薄なのだ。
葬儀、結婚式、入院見舞いなど、すべて、いくら包むかが、大切で、感情は2の次であることが、多い。
現在、黄金名の知り合いが入院中だが、黄金名は、いつも手ぶらで見舞っている。
もう、4回ほど訪問したが、その度に元気になっている姿に接することは、嬉しいものだ。
じゃ、また
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