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クレオパトラとベン・ハー

数年ぶりに、「クレオパトラ」をDVDで見た。

なんでも、史上最高の超大作だそうだ。

この作品は1963年の製作である。現在の貨幣価値にすると、300億円以上の資金が投入されたようだ。

黄金名は、小学校6年生の時に劇場でみたことになる。

たしか、日比谷の有楽座だった。

当時、同級生で東京で映画をみていた友人は皆無のような気がするので、なるほど、恵まれた環境にいたようだ。

黄金名は、歴史ものが大好きだが、子どものころは、やはり戦闘シーンが見たい。ところが、「クレオパトラ」には戦闘場面はほとんどない。

唯一、エジプト艦隊とローマ艦隊の決戦があるだけで、あとは会話シーンばかりである。

黄金名は退屈はしなかったが、ベン・ハーのように興奮はしなかった。

ただ、登場人物の衣装の見事さ、それとシーザー、アントニーそしてクレオパトラなど書物の世界だけで知っていた人物が視覚化されていたことにワクワクしていた。

そして、今、見直してみると、やはり、作品としての質は「ベン・ハー」とは比較にならないし、当時、批評家が最低の作品とこきおろしたのも、むりはないと同感する。

なぜか?

それは、まず、対決がないのだ。ベン・ハーは、主人公とローマ軍司令官メッサラの対決が興味の焦点だろう。

それに、ベン・ハーの家族と恋人への愛情の深さがえがかれている。「クレオパトラ」はそこまで、クレオパトラの感情をえがききっていないのだ。

ようするに、なにを表現したいか、わからないまま古来からの歴史をそのまま映画にしたというかんじなのだ。

おまけに、「マイ・フェア・レディ」であれだけ好演したレックス・ハリスンがシーザーにはあってない。やはり、教授役のほうがよさそうだ。

しかし、エリザベス・テイラーのクレオパトラ、リチャード・バートンのアントニーは素晴らしい。エリザベスの美しさと女王らしい気高さは比類がないし、リチャードのカッコ良さは、たとえばラッセル・クロウなど遠く及ばない。

映画自体も、シーザーが暗殺されてからのほうが、別作品が始まったかのように、良くなる。

それはブルータスの苦悩が十分に表現されずシーザー暗殺の意図がもうひとつわからないのに比べ、オクタビアンとアントニーの対決は分かりやすいからだろう。

おもしろいものだ。

それにしても、この当時から、言論が大切にされてきた西洋。

それにくらべ、2千年の歴史があるのに、北条政子の承久の乱における演説以外、伝わるもののないわが国の歴史はなんなんだろう。

長篠の決戦のまえ、信長、勝頼がなんと演説したか、知りたいものだ。

ところで、話はかわって、きのうの「いわしのつみれ祭」

あまりに美味しかったので、今日は2食分持ち帰りにして、夕飯におもちをいれ、雑煮としていただくつもり、こいつは楽しみだ。

じゃ、また

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