2009年銚子市長選挙の後遺症
表現がむずかしいが、ある程度の関心を市政に持っている方のご意見をうかがうと、野平政権では銚子がもたない、ということで意見は一致する。
ところが、その思いを持った人が結束できるか、というと、これが極めて難しいようなのだ。
2009年の市長選挙を振り返ると、野平、岡野、茂木、石上、岩井、高瀬の6名が立候補した。
岡野から高瀬までの支持者は、黄金名が意見交換した限りでは、野平市長の政治姿勢には強い疑問をもっているし、来年の市長選挙では政権交代を、という思いも一致している。
ところが、岡野支持派だった人たちは、政策的な事柄なのに、リコールはおかしいという思いが消えないようだ。それどころか、リコール派が、時の市長の首をとって、そのあと、内部抗争をはじめ、3候補が乱立するという結果になったことに、強い憤りをもっているような気がする。
そして、3候補の陣営内部も、自派こそ正統と主張しあい、まとまることは難しいように見える。
ここで思い起こされるのが、秀吉死後、石田三成の文治派と福島正則の武将派に分裂した豊臣家である。
結果は徳川家康に天下をうばわれ、豊臣家は滅亡。その上、福島家なども取り潰されている。
こうなると、やはり、思いが一緒の人たちが、結集することが必要のようだ。
じゃ、
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コメント
あなた、仏国寺すきでしょうが
オフィサーの工作がどういうもんか
3Fに潜り込んでるそいつらを炙りださなきゃ
投稿: 76号 | 2012年7月21日 (土) 10時56分